なるべく人と接することのないよう、夜間に移動することにした。
 眠り続けるアイーシャが一緒なので、宿屋にも泊まりにくい。まだ水の都から
そんなに離れてはいない。近くに長居するのも躊躇われた。
 食べ物なら、露店で買えばいい。
 あれから一ヶ月ほど経つが、アイーシャは相変わらずだ。それでも口許まで食べ物を
持っていけば、ようやく口を開けて食べるようになった。エシャールの問いかけには
全く反応しないが。
 何とか療養できる場所を探さなくては。当面の目的は、それだった。

 太陽の眩しさに目を開けると、すでに時刻は昼を過ぎていた。いつもよりも
寝ていたらしい。
 昨夜は珍しくアイーシャがまともに食べてくれて、つられて久々の酒を飲んだせいか
ぐっすり眠ってしまったようだ。
 傍らのアイーシャを見れば、既に目を開けてぼんやりと鳥を見ている。
 それを鳥だと認識できているのかどうかは、わからないが。
「アイーシャ、起きていたのか。おはよう」
 あまり喋ることのなかった自分が、随分と変わってしまったなと思う。アイーシャに
回復してほしい一心で、ひたすら話しかける。
「今日は一日ここにいようか、アイーシャ。天気もいいし、たまにはのんびり
 しよう」
 水辺に馬を繋いで、しばしの休息をさせる。水の都からずっと乗っているが、
無理をさせても不満そうな素振りは見せない。エシャールはそんな馬をねぎらい、
綺麗な草のあるあたりに繋いでやった。
「おいで、アイーシャ」
 よく日のあたる場所に腰をおろして、膝の上にアイーシャを座らせた。
意識のないアイーシャは、立つことさえできない。
「次はどこへ行こうか。碧(へき)の都かな。あそこは年中暖かいし、氷の月でも
 ほとんど雪が降らないと聞く」
 アイーシャの髪を漉いてやると、気持ちよさそうに目を閉じる。意識を失っても、
女性としての意識がどこかに残っているのだろうか。
「お前は聖都に行きたいのかもしれぬが、私は絶対に行かぬからな。天帝のことは、
 今度のことでも十分信じられぬ」
 アイーシャがこんな不幸な目に遭っているのに、天帝は彼女を助けてくれなかった
ではないか。この世に生きる人々をただ見守るだけというなら、神々がいる。
ならば何のための天帝か。
 少し物思いに耽っていると、アイーシャが軽くエシャールの膝を掴んできた。
ほんの少しの力でだが、たまに見せる反応が嬉しい。
「怒ったのか?お前は天帝びいきだからな…」
 各地を転々としながらエシャールが見てきたのは、人々の天帝への絶対的な
信頼と、盲目的な崇拝。それだけの人心を掌握できる絶対者とは一体どんな男なのか。
 そもそも人なのか神なのか。
 興味がなかったわけではない。だがその興味はアイーシャに出会ってから
苛立ちに変わっていた。できることなら天帝の胸座でも掴んで、アイーシャを救えと
言いたいくらいに。
「お前に初めて出会った時も、胸座を掴まれたよな…」
 背中からアイーシャを抱きしめて、エシャールは俯いた。
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