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2006.10.01
蒼の都の物語・360
大神殿の巫女となるべく育てられたシュレーシア・アイーシャは、天上の水鏡に地上の様子を映し出す力を至上から与えられていた。
しかしその力がどれほどに偉大で危険な力であるかも理解していたシュレーシアは、決して使うことはなかった。そういう娘だからこそ、至上もシュレーシアを巫女とすることに決めたのである。
そんな娘にも、他の存在を恋しいと想う季節は来るものだ。
きっかけは、姉姫達の噂話だった。地上の世界がようやく整った。天帝が絶対者として君臨したことで、天上界が願った世界になりつつある。そのうえ天帝はその手腕だけではなく、あまりにも美しすぎる顔立ちだという。それほどに美しいのなら、一度くらい見てみたい、と。
大神殿には様々な神が出入りしていたが、美しいと形容できる神は少ない。いずれは父である至上の言いなりになっていずれかの神の妃になることになるが、一度でいいから天帝を見てみたいではないかと。
そうやって姉姫達に懇願されたシュレーシアは仕方なく天上の水鏡への道を開いた。至上の気配がないことを確認し、鍵となる杖で水鏡に宇宙の宮を映し出した。天空の書院で瞑想している天帝が見えて、姉姫達は色めき立ったが、シュレーシアはいつ至上に知れてしまうかとヒヤヒヤしながら立っていた。
すると、そこにいた中で一番上の姉姫が、シュレーシアの腕を引っ張る。
『シュレーシア、見てごらんなさいな。本当に美しくてよ』
シュレーシアにしてみれば、それどころではなかったのだが、否応無く覗き込まされ、息を呑んだ。
『何て美しい…』
『そうでしょう?素敵な方ね。ほら、もう少し乗り出したらもっと近くに見れてよ』
姉姫が無理矢理押してきた。危ないと思った時には、もう遅かった。水面の向こう側に、突き落とした瞬間にシュレーシアから取り上げた杖を握っている姉姫が見えた。
『さよなら、シュレーシア・アイーシャ。姉妹の中でただひとり、アイーシャの名を持つ憎らしい妹姫』
姉姫が杖を振り、水面から姉達の顔が消えた。身体は真っ逆さまに落ちたが、かろうじて羽根が落下するのを防いでくれて、何とか地面への激突は避けられた。
宇宙の宮の裏にある森の池のほとりにようやく着地したが、あの時の姉姫の言葉が頭の中をぐるぐると回っていた。
確かに『アイーシャ』という名前は、姉妹の中では自分しか持たない。『聖女』という意味で、特別な血筋の娘にしか与えられない名前だ。だがそれはこの先の運命を全て父である至上に握られることも意味していた。だから自分はその名を持っていることについて姉達に誇らしく語ったことなどなかったはずだ。だが、あの時の姉達の瞳は、明らかに自分を憎んでいた。
しかも、自分が二度と天上へ戻ってくることのないように地上に落とすなど…。
羽根がなくなっていくのがわかる。悲しくて悲しくてたまらなかった。羽根が消えることより、天上へ戻れぬことより、姉達に憎まれていたことが悲しかった。
しくしくと泣いていると、人の気配がした。
『何を泣いている?ただ人が来るところではないぞ?』
かけられた優しい言葉、美しい声、力強い腕…。それが天帝だとわかったのは、抱きしめられた後だった。
これほどに自分以外の存在を愛せるとは思いもしなかった。心から愛される喜びを、教えてくれたのは天帝だった。
姉姫達への恨みはとうに消えていた。愛する夫と息子が何もかもを喜びに変えてくれた。至上から二度と戻って来るなと言われたが、天帝の愛が支えてくれた。
怖いほどに、幸せだった…。
杖を振ると、寝室に戻っている天帝が見えた。あの頃と何一つ変わらぬ美しい姿。苦しげな顔さえ美しい。
「あなた…」
初めてそう呼んだのは、一夜を共にした翌朝。至上から天上への帰還は許さずと言われた泣き崩れたアイーシャを抱きしめて、天帝がそのまま寝台に押し倒してきたのだった。
ただ一言、『愛している』と囁いて。
目覚めた腕の中、はにかみながら呼ぶと、天帝は微笑して言った。
『3000年の孤独も…そなたに出逢うためだったと思えば辛くなくなるのは何故だろうな…』
そう優しく言ってくれた時と寸分違わぬ美しさのまま、天帝はそこにいた。
「…あなたが身を挺して庇う皇子の記憶を…目覚めさせる…?」
至上は何故、そこまで皇子の記憶にこだわるのだろう。皇子はいわば、至上の実の孫なのである。目の敵にさえしている気がするのは何故だろうか…。
「あなた…私はどうしたらよろしいの…?」
命を奪われることもなく、ただ苦しみに耐えている天帝を見ているのが辛くて、シュレーシアは杖を振った。水鏡は再び、ただの池に戻った。
そんな娘にも、他の存在を恋しいと想う季節は来るものだ。
きっかけは、姉姫達の噂話だった。地上の世界がようやく整った。天帝が絶対者として君臨したことで、天上界が願った世界になりつつある。そのうえ天帝はその手腕だけではなく、あまりにも美しすぎる顔立ちだという。それほどに美しいのなら、一度くらい見てみたい、と。
大神殿には様々な神が出入りしていたが、美しいと形容できる神は少ない。いずれは父である至上の言いなりになっていずれかの神の妃になることになるが、一度でいいから天帝を見てみたいではないかと。
そうやって姉姫達に懇願されたシュレーシアは仕方なく天上の水鏡への道を開いた。至上の気配がないことを確認し、鍵となる杖で水鏡に宇宙の宮を映し出した。天空の書院で瞑想している天帝が見えて、姉姫達は色めき立ったが、シュレーシアはいつ至上に知れてしまうかとヒヤヒヤしながら立っていた。
すると、そこにいた中で一番上の姉姫が、シュレーシアの腕を引っ張る。
『シュレーシア、見てごらんなさいな。本当に美しくてよ』
シュレーシアにしてみれば、それどころではなかったのだが、否応無く覗き込まされ、息を呑んだ。
『何て美しい…』
『そうでしょう?素敵な方ね。ほら、もう少し乗り出したらもっと近くに見れてよ』
姉姫が無理矢理押してきた。危ないと思った時には、もう遅かった。水面の向こう側に、突き落とした瞬間にシュレーシアから取り上げた杖を握っている姉姫が見えた。
『さよなら、シュレーシア・アイーシャ。姉妹の中でただひとり、アイーシャの名を持つ憎らしい妹姫』
姉姫が杖を振り、水面から姉達の顔が消えた。身体は真っ逆さまに落ちたが、かろうじて羽根が落下するのを防いでくれて、何とか地面への激突は避けられた。
宇宙の宮の裏にある森の池のほとりにようやく着地したが、あの時の姉姫の言葉が頭の中をぐるぐると回っていた。
確かに『アイーシャ』という名前は、姉妹の中では自分しか持たない。『聖女』という意味で、特別な血筋の娘にしか与えられない名前だ。だがそれはこの先の運命を全て父である至上に握られることも意味していた。だから自分はその名を持っていることについて姉達に誇らしく語ったことなどなかったはずだ。だが、あの時の姉達の瞳は、明らかに自分を憎んでいた。
しかも、自分が二度と天上へ戻ってくることのないように地上に落とすなど…。
羽根がなくなっていくのがわかる。悲しくて悲しくてたまらなかった。羽根が消えることより、天上へ戻れぬことより、姉達に憎まれていたことが悲しかった。
しくしくと泣いていると、人の気配がした。
『何を泣いている?ただ人が来るところではないぞ?』
かけられた優しい言葉、美しい声、力強い腕…。それが天帝だとわかったのは、抱きしめられた後だった。
これほどに自分以外の存在を愛せるとは思いもしなかった。心から愛される喜びを、教えてくれたのは天帝だった。
姉姫達への恨みはとうに消えていた。愛する夫と息子が何もかもを喜びに変えてくれた。至上から二度と戻って来るなと言われたが、天帝の愛が支えてくれた。
怖いほどに、幸せだった…。
杖を振ると、寝室に戻っている天帝が見えた。あの頃と何一つ変わらぬ美しい姿。苦しげな顔さえ美しい。
「あなた…」
初めてそう呼んだのは、一夜を共にした翌朝。至上から天上への帰還は許さずと言われた泣き崩れたアイーシャを抱きしめて、天帝がそのまま寝台に押し倒してきたのだった。
ただ一言、『愛している』と囁いて。
目覚めた腕の中、はにかみながら呼ぶと、天帝は微笑して言った。
『3000年の孤独も…そなたに出逢うためだったと思えば辛くなくなるのは何故だろうな…』
そう優しく言ってくれた時と寸分違わぬ美しさのまま、天帝はそこにいた。
「…あなたが身を挺して庇う皇子の記憶を…目覚めさせる…?」
至上は何故、そこまで皇子の記憶にこだわるのだろう。皇子はいわば、至上の実の孫なのである。目の敵にさえしている気がするのは何故だろうか…。
「あなた…私はどうしたらよろしいの…?」
命を奪われることもなく、ただ苦しみに耐えている天帝を見ているのが辛くて、シュレーシアは杖を振った。水鏡は再び、ただの池に戻った。
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